コロナ中の考え方の変化

海外で子育て

こんにちは!

私は毎週末、絶賛断捨離中。

さて今日は、最近の私の考え方の変化について書き残しておこうと思います。

といってもまずは現状報告からいきます。

全然落ち着かないコロナ

フロリダ州では今週新たに9000人以上の新規感染者が出て、再開したレストランやビーチが再びクローズするというニュースがありました。

先進国はほとんどがコロナ収束に向かっている中、アメリカの中で18の州が感染がさらに拡大し、経済再開後のアメリカ全体の新規感染者のグラフはおびただしい数になっていて、ニュースキャスターが政府に責めるのだけど「テストの数が増えているからだ、我々はよくやっている。18の州以外は山を越えた。」みたいな回答しか出てこなくて怒り、というニュースばかり。

今アメリカで拡大している新規感染者の半数以上は20代、30代の若い世代ということでまたそれも問題になっています。

ニューメキシコ州全体でも新規感染者の山はまた上がり、このマッキンリー郡の新規感染者は3300人を超えています。ナバホネーションも、ズニのリザベーションも同じ状況。

ホピのアーティストに電話したら、「ギャラップに行きたくないから商品は発送するね」と言われ、まだ危険なスポットにいることを改めて感じました。

体感として確かに、「コロナでの外出禁止に疲れた」+「いろいろな店が開いている」ということで通常の生活に戻り、ふらっと買い物に行きたいと思う気持ちとか、まぁ大丈夫だろうと思って出かける気持ちも分からなくもないです。

そろそろみんな、楽しみが欲しい。

みんなもちろん気をつけている。でも「不要不急の外出を避ける」という段階からは脱して気は緩み、仕事や社会復帰で接触も増えているから仕方のないことでもあります。

納まりそうな気分だったコロナが全然収まらないことに、なんかどうしていいかわからん!って感じです。ニュースを見るとどうしていいかさらに分からなくなるので、ほとんどニュースは見ずに毎日淡々と過ごしています。

そんな分からないコロナが続くここで、私の考えが変わってきたという話を書いていきたいと思います。

スローライフへ

今の私を知る人からは想像できないと思うのですが、実は昔は自然環境重視主義の人でした。(そもそもこの世界にはフェアトレードから入ったので、エスニック好きやインディアン好きとはまた違う根っこがあります。)

商品を買う時に、動物実験をしていないか、どんな人口的なものが入っているか、どれだけ環境に優しい会社なのか、そういうのをちゃんと見て買う人だったのです。スローライフは大学の時の研究テーマで、それに合わせてスロービジネスというのを卒業論文で書きました。

ヒッピー文化にはあまり興味がなかったけどエスニック周りにはそういうスピリットの人が多くて、休日は楽器を持って代々木公園に行ったり、平気で何日も風呂に入らなかったり。「太陽と共に生きる」はちゃんと今の家にも持ってきていてて、実際に社会人になり出来るときはベランダ菜園をし、食料と家族がいればいいじゃんって言っていて、でもやっぱり仕事となると、たくさんお金で利益を出した人の勝ちです。

アメリカはオーガニックやNon GMO先進国だから、アメリカにきたばかりの時は商品が簡単に日本より安く買えて喜んでいました。

1人目の子供が生まれた時も結構そこは気にしていて、有名ブランドの大量生産品をたくさんもらう中、日常的に使ったり食べさせたりするものはなるべく自然のもの、はたまた自分の洋服もオーガニック製品を選んだりしていました。ダンナはオーガニックとか、自然食品とか、お金に余裕がある白人さんがやるものだと思っている(笑)

でもいつからかは分からないけど、仕事と子育てをし、さらに2人目を育てる中でどんどんと効率よく食べられるもの、効率よく使える道具、効果の高い化粧品、安くて機能性のあるファストファッションというものを買い、古くなったら捨てる、そういう生活をしています。

ダンナも、もっと、もっとって思っているし、私ももっと、もっとって思っている。

古いスタイルの生活ってとにかく時間がかかるから、効率よく物を進めていって仕事をしながら子育てをしていくにはコストコで大量に食料を買って、ファストファッションで何期間かで使い捨てできる服を買い、即効性がある化学製品を使う必要があります。

今うちにいる時間が長くなり、片づけをして、ふとその大量生産大量消費の渦の中にいる自分に気づく。アメリカの消費社会は本当にすごいし、それに慣れて自分もその一人であることに気づく。

大手企業のマインドだとどうしても「効率化」という言葉からは逃れられなくて、効率化というのは=便利ってことだからそれに慣れちゃうんだけど、果たしてそれが自分が生きる目的を果たすかというところを考えなきゃいけないなと思います。

ほとんど経済が止まっていたコロナで、大金を稼ぐことに追われていた大人は、家族や家仕事での幸せを見出しました。

お金という対価がなくても楽しいと思える、料理、掃除、家族との時間。

その楽しみを犠牲にして、正義感や義務感や止む無くやっていた仕事というものの意味って?

その対価以上のものが家にあって、そしてそれで食べるのに困らないとしたら?

(今失業手当をもらっている人の多くはこの状況にあります。)

仕事がお金の為だった人は、本当に考え直さないといけない。

仕事をしなくても生きていける方法があるんじゃないのか?とか。

動物たちの顔を見る時間、子供と遊ぶ時間、外でぼーっとする時間、植物を愛でる時間、そういう時間はもっと生産的なことに当てないと!って生き急いで本来の生きる目的を忘れていた自分。

「時間がもったいない」という気持ちは今後も変わらないと思うんだけど、「生産性、時給、効率」というマインドとは相反するような「ただ楽しく気持ちよく生きる」という考えをもっと自分に持たなきゃと思います。

「経済的成功が人としての成功」という考えを民主主義のもとで変えるのは難しいし、ただ惰性で生きるっていうこととも違くて、簡単に言えば「もっと楽にもっと楽しく生きられる方法がありそうな気がする」ってことです。

毎週末どんどん片づけをしていて、ダンナも家の周りをどんどんと住みやすくしてくれています。

毎日畑に水をやり子供たちと遊び、仕事も趣味もちゃんと進められていて、買い物するときには本当に欲しいものだけを考えて買うことができる。2020年の目標、「余裕」は良くも悪くも少し達成された気がします。

そんな考え方の変化のメモでした。

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