ニューメキシコ州ギャラップのハイウェイ出口はEXIT22番。
その出口を出てわたる橋に「Hershey Miyamura」という名前がついていて、ミヤムラ高架道路(Miyamura Overpass)と呼ばれます。
ミヤムラ!?
日本人!?
誰!?
とみんなが疑問に思うのです。
ミヤムラ H ヒロシさん
彼が現役時のミヤムラヒロシさん。
奥様は近年亡くなられましたが、ヒロシさんは現在もお元気でギャラップに住んでいらっしゃいます。日系2世としてギャラップに生まれたヒロシさん。
ギャラップでは知らない人はいないヒロシさん。
なぜこんなに有名人なのか。
アメリカにおける名誉勲章受章者の内、初めて極秘(Top Secret)に分類された受章者。
親日家が多いのはヒロシさんのおかげ
↑これはギャラップのダウンタウンにあるモニュメント。
1941年、第二次世界大戦がアメリカと日本との間に開戦しました。
ミヤムラさんは軍に入る適齢期に達していましたが、アメリカ人ながら日系人であるため人種差別を受け最初は従軍することは認められず、認められた時には戦争は終わりに近づいていたそうです。
こういう地域はアメリカ国内でもいくつかあったようですが、強制収用を逃れて日本人をかくまっていたのはこのニューメキシコ州ギャラップも例外ではありませんでした。
その後、1944年からアメリカ軍に従事し、その功績をあげるわけです。
朝鮮戦争の直後、ミヤムラさんは捕虜となっています。
「中国人民解放軍に捕えられたミヤムラは、28ヶ月間もの間北朝鮮軍の捕虜生活を送ることになる。朝鮮戦争が停戦し、1953年8月20日に解放されるとすぐにアメリカ本土に送り返されたが、体重は47キロにやせほそっていた。
病院で検査後陸軍から名誉除隊を果たす。なおこの後ギャラップに戻った際に大歓迎をうけた。1953年10月に、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領がホワイトハウスにて改めて名誉勲章の授与を行った。現在のアメリカ陸海空軍の将校のテキストには、ミヤムラの事例がアメリカ陸軍兵士の伝統的かつ英雄的な行動として必ず記載されている。」
学校、橋、通りの名前
こちらが現在のミヤムラヒロシさん。
こちらの発音にすると、「ハーシー マイヤムラ」
日本の発音で「ミヤムラヒロシ」というのは通じませんが、「ハーシー マイヤムラ」といえば知らない人はいません。
アメリカのNetflixに、「Medal of Honor」というドラマシリーズがあります。
その1話目に、ミヤムラヒロシさんが出てきます。
アメリカの田舎町がネットフリックスのドラマになるんだから、もうこれは大ニュース、新聞にも掲載される大ごととなりました。
さらにギャラップには、ヒロシミヤムラ高校というのがあります。ギャラップには公立の高校は二つしかないのですが、そのうち一つがミヤムラ高校です。
「今日のバスケの試合はどこ?」「ミヤムラだよ。」っていうのが日常会話。
彼の功績は、ギャラップの市全体の誇りとなっています。
その高校の体育館には、こんな絵が描かれています。
ギャラップで行われるローカルなパレードには、退役軍人として参加することもありますが、ヒロシさんはそんなローカルなパレードに参加するような人ではなく、どちらかというと国家行事に参加するようなとても偉大な方です。
まとめ
私は以前、日本大使館のイベントでヒロシさんにお会いしたことがありますが、もうこの写真のまま、優しそうな方でした。
私はギャラップでアジア人差別とか、日本人差別とかを感じたことは一切ありません。差別されないように変な態度はとらないというのもあると思いますし、ただ自分がポジティブで感じていないだけというのもあると思います。
でも何よりも、日本人の歴史は大変な時代をまっすぐに生きてきた方、先輩方の上に成り立っているというのも事実。
私とは全く接点がなくても観光に来た日本の人たちが少しでも評判の悪いことをすると、すぐに私の耳にも入り、日本人全体の評判が下がってしまいます。
田舎の日本人は良くも悪くも必ず日本代表のレッテルを貼られるので、日本人の評判を落とさないためにも悪いことはできません。
後々来た日本人が快適に暮らせるように、私も日本人といえばといういいイメージをあちらこちらに振りまいていくことを目標にしていきたいと思います。笑
アメリカ、ニューメキシコ州在住、居住歴10年。ナバホ族の夫とリザベーションで二人の子育てをしながらインディアンジュエリーにかかわる仕事をしています。インスタ、ツイッター、Facebook、Youtubeがありますがインスタが一番身近な感じかと。
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