第二章 社会を学ぶ

お絵かき日記

古着屋のサムタイムズストアの店主、ゆりちゃんがラジオでめちゃくちゃこのブログの宣伝してくれていたのにもかかわらず、いつもと違う私の一生シリーズを書いていてすみません。。。

ネイティブアメリカン関係は過去ブログにいっぱい書いているので、アーカイブ見てくださいね!

では前回の続き。

 

第二章 社会を学ぶ

ついに社会に出る

大学後の進路を決めるとき、国連はちょっとハードルが高すぎるからNGO団体に入るか、普通に旅行会社とか商社を目指したほうがいいのか、、まずは就職という進路を決める前にボランティアや政府から与えるというだけではないフェアトレードの店でインターンをしました。池袋のフェアトレードの店で3か月ぐらいインターンをしたと思います。エスニックファッション全盛期の時代だったのでフェアトレードの店も結構お客さんが来ていましたが、やっぱりボランティア感があって、どうせ就職するんだったらビジネスとして大きくなっている企業がいいなと思ってエスニックショップマライカの面接を受けに行きます。

マライカの社長は青年海外協力隊としてアフリカで農業指導をしていた経験があり、そこで共通点があったためなのか、無事採用。コーヒー会社や大手の外資系企業にことごとく落とされていた就職活動だったので、なんとか引っかかった、そんな感じでまずは在学中に店舗でアルバイトすることから始まります。

人生初めてのバイトで時給が良くて始めたパチンコ屋には、めちゃヤンキー上がりみたいな歯が溶けちゃってる人とかいたし、居酒屋には正体の分からない人妻のバイトみたいな人もいたし、フェアトレードではヒッピーとか自然を愛してやまない人とか変な人はいっぱい見てきたけど、マライカのバイトで出会った人たちは、なんというか私の人生の中ではあまりいない心地の良い変な人たちが多かったなと今思います。

人見知りだったし、よく社会性がないとか変わってるとか、つかめないとか本心はどれだか分からないとか言われていて、まぁ普通でいることが一番いいと多分子供心に悟り、とにかく周りに合わせて生きていく人生でした。

自分でも自分はどういう人か分かっていなくて常に自信がなかったし、人から評価されることを極端に恐れていたような気がします。

でもマライカのバイトで知り合った仲間たちは、めちゃくちゃ変なファッションしてても(失礼!)明るくて元気で、まじめで気さくでした。それでいて、ちゃんと自分の仕事をこなして前向きにことを進めていく。商品について自主的に勉強して、もっと売れるようにがんばる。マネージャーにめちゃくちゃ怒られても、また怒られちゃったよーって笑ってる人もいたし、親しいお客さんができて私の顔を見に通ってくれるようになる。こういう仕事もあるんだと思いました。

過去のバイトもみんな楽しかったけど私の心はお金のためにやっていたから都合が悪くなればすぐ辞め、その後人間関係が続くバイトもあまりなかったような気がします。

当時、売り上げが全国一位二位を争う店舗だったからというのもあるかもしれません。その中で私は先輩方のように売り上げには全然貢献できなかったけど、卒業して東京の本社へと移ります。店舗を卒業するときにみんなに買ってもらったのが、初めての私のインディアンジュエリー。

ターコイズには全然興味がなかったので、ワイルドホースという白と茶色の石のペンダントトップを贈り物でいただきました。

がむしゃらに働く日々

私が入社した年はエスニック全盛期。タイダイ柄のものなんて、店頭に出せば瞬く間に売れる、そういう時期でした。人見知りだし洋服の接客もあまりうまくできないだろうと一瞬で察したバイト時代のマネージャーは、すぐにアクセサリーの担当に任命し、そこから本社でもアクセサリー部門に配属。私は実はずっと置物や小物などの雑貨輸入がやりたいと思っていたのですが、そこから私はアクセサリーから離れられない人生となります。

初めての買い付けは、入社して半年してからのアメリカ行き。インディアンジュエリーには全く興味がなく、アフリカのトレードビーズとかの勉強が楽しかった真っ最中だったけど、ただ英語が少しできるかもしれないという期待から連れて行ってもらえた買い付けでした。入社して半年で海外買い付けに行けるなんて思ってもいなかったけれど、そこで同行した店舗のスタッフの人の知識はものすごいもので(今考えてもトップクラスの先輩二人)、圧倒されて勉強しながら仕入れをしました。自分で勉強した知識をさりげなく教えてくれる先輩という存在はここで初めて知り、私もこの人みたいになりたいと強く思いました。私も自分で勉強したんだからあなたも自分で覚えなさい、勉強しなさいというスタンスの人を見ると、私はいつもこの先輩のことを思い出します。

そこから私は先輩たちが仕入れたものを値付けし、店舗に分けたりするインディアンジュエリー担当みたいな扱いになって、心の中では本当はアフリカの商品とかやりたいんだよなぁってずっと思っていました。とにかく毎日めちゃくちゃたくさんの仕事があり、毎日10時頃まで残業。バタンキューで化粧もせず仕事に行くことも結構あったような気がします。いかに効率よく仕事をするか、いかに早く終わらせるかということだけを考えて仕事していて、べちゃくちゃしゃべっている先輩とか信じられないって思っていたし、それが実際身体から出ていて、先輩にお前はまじめだよなぁとよく言われました。

新しい店舗もどんどんできていたので、その準備係としてジュエリーを準備して、実際に店舗の内装へ商品を並べることもたくさんしました。店の手が足りないときは開店後も残ってオープンを迎えるときもあったし、ヘルプと称して真夏の繁忙期にスタッフとして駆り出されたり、出張続きで半年のうちどれぐらい自分の家にいたかなと思うぐらいにまぁとにかくひたすら働いていました。

店舗と本社を行き来する中で、こういう商品があったらいいんじゃないかなと思うものを微力ながらに絵に描いて商品化したらめちゃくちゃヒットしたという経験は私の中ではかなり衝撃的で、今でも覚えています。

そしてがむしゃらに働くこと二年、家にいない日々が続き、自分が将棋の駒のように使われているような気がしていったん離れたくなり、退社。

実家に戻り、もうちょっとガッチガチの社会を学んでみようと思って日本語教師の資格を取りながら銀行で派遣社員をしました。

決めたら周りが何と言おうとやるよねって今はよく言われるのですが、自分ではあまりそんなゴリゴリ進めてきた感じはしていません。(だからイタイやつなんだろうなぁ)大学を決めたときも、会社を決めたときも、引越しをするときも、会社を辞めたときも、自分がこうしてみたいと思ったことはやっぱり周りが止めても私は聞かずにどんどんと淡々と物事を進めてきました。

自分が合いそうだというフィーリングというか臭いのするところを求めて必死で探っていく、そんな感じです。下調べをちゃんとして進めるタイプではないので、毎回自信や確信なんてものは一切なく、逃げるように次の場所へ行くときもあるし、すべてを捨てたいと思って次の場所へ行くときもあります。ものすごく中に芯が通っているわけでもないし、人生に強い目標がある訳でもなく、学生の頃の夢は専業主婦で、畑とかやって自分でパンとか毎日焼いているようなお母さんになりたいと思っていました。

 

コメント

  1. Romy より:

    このシリーズいいね💛