かなり面白い、スペイン人が来た理由

Native American

ネイティブアメリカンの歴史を語る上で欠かせない「スペイン人の入植」という言葉。

まずそもそもの疑問、「なんでスペイン人?どっから来た?」

これが結構面白いので解説します。

トルデシリャス条約って知ってます?

 

アメリカの先住民、スペイン人にはインディアンと呼ばれることになるネイティブアメリカンたち。

彼らは彼らでちゃんと歴史があって自分たちの文化を生きていたわけだけれども、そこにコロンブスがやってきます。

 

1492年にコロンブスが「インド」(実際には西インド諸島)に到達し帰還したことによって、ポルトガル・スペイン両国において「新世界」への冒険的航海がブームとなっていました。(来月10月14日がコロンブスデーです。)

 

スペイン、ポルトガルはお互いの領土で争っていて、その解決策としてできたのがこの条約。

「1506年 トルデリシャス条約」

ポルトガルとスペインが両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、ヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めた。というもの。

 

この紫色から左をスペイン、右をポルトガルのものとする条約。

 

そして、

左側の領土をどんどん拡大しようとするスペイン人が現れる。

しかもこの条約、

アレクサンデル6世の次の教皇、ユリウス2世による確認を受け、教皇庁にも認められる。

 

教皇に「あなたたちの土地ですよー。」と認められたので、その土地の人をどんどん殺したり服従させていくわけです。

 

ウィキペディアの記述はこんな感じ。

スペインは「新大陸」における征服の優先権を認められた。トルデシリャス条約では新たに征服される土地と住民はスペイン国王に属すこととされ、スペイン国王の代行者たるパシフィカドール(鎮定者)は、既に成立した条約に基づいて先住民を服従させるか鎮定する役割を担った。このトルデシリャス条約のため、スペイン人が先住民に出会った際に、先住民に対しての選択肢は征服以外に存在しなくなり、このことがポルトガルやイギリス、フランスによるアメリカ大陸の征服とスペインのそれの特徴を大きく異なったものとした。

 

元々、教皇に権利を認められてスペイン人がアメリカに来たというところがポイントです。

トルデシリャス条約により、スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれます。

元々土地は教皇に認められているので、その土地の人々を征服するために来ていたというわけです。

 

そうやって色々な人たちが南北アメリカ大陸に流れ込んでスペイン人がどんどん拡大していくわけですね。

黄金の街シボラを目指したコロナドたち

 

現在のニューメキシコ州に来たコンキスタドール、

フランシスコ・バスケス・デ・コロナド 

1540年から1542年の間にニューメキシコおよび現在アメリカ合衆国領の南西部を探検したというコロナド氏。

 

彼らがこの現在のニューメキシコ州、アリゾナ州近辺を探検していた理由は土地の拡大だけではありません。

目的は、黄金の七都市を探すため。

 

「黄金の七都市の話」

1150年頃7人の司教がムーア人に追われて町から逃げ、一命を取り留めただけではなく、聖なる遺物がイスラム教徒たちの手に渡るのを防いだ。 後になって、どこか遠くの当時の人々には分からない場所に、7人の司教たちが「シボラとキビラの町」を創った、という噂が広まった。伝説では、これらの町はとても裕福で、主に黄金と貴石で建てられていると言われた。この伝説はその後何世紀もの間、多くの探険の大きな動因になった。最終的には「シボラとキビラの町」の伝説は、メリダを去った7人の司教それぞれがいる「黄金の七都市」という大きな話になった。

 

そして、コロナドの前にニューメキシコ州近辺を探検したマルコス・デ・ニサ修道士はメキシコシティに帰還し、北方の探険で大きい町を遠くに見てきたと主張した。その町では、人は金と銀の皿を使い、トルコ石で家を装飾し、大粒の真珠やエメラルドやその他の美しい宝石を持っていたと語ったために、コロナドはその黄金の都市を探すために探検を始めるわけです。

 

結果、黄金の都市など存在しないのですが、その黄金の都市は実はズニ族の村だったのではないかともいわれています。

 

シボラはマルコスが語ったような巨大な黄金都市ではなく、単なるズニ族のプエブロにしか過ぎなかった。実際にシボラがあったといわれる場所(あるいはマルコスがシボラと勘違いした場所)についてははっきりしていない。黄金都市の伝説の信ぴょう性が保たれたのは、一方ではエル・ドラードの伝説があったこと、アドビ煉瓦で作られたプエブロ集落は、煉瓦に雲母が混ざっていると太陽光を反射して黄金色に輝いて見えること、ズニのプエブロ集落が実際に7つあったことなどが挙げられている。

 

これはギャラップのEl Ranchoホテルにある、そのコロナドの探検を描いたものです。

 

スペイン人が黄金の都市だと思ってきたところは、ズニ族のプエブロだったという壮大なお話。

 

そこからネイティブアメリカンの迫害の歴史などにもつながってしまうのですが、もともとスペイン人が入ってきた理由はこうだったわけです。

だから、征服して当たり前と本人たちは思っていたということ。

 

↓この歴史はエルモロに深く刻まれていますね。

https://japanswlife.com/エルモロ国定公園/

まとめ、すべては歴史の中に

世界史の勉強は好きだったけど、当時の先生が単語だけをひたすら覚えさせその流れは何も教えないという先生だったので、単語の雰囲気は頭に残っていても全然覚えていない世界史。。。

特に西洋史はカタカナのよくわからない単語ばかり並んでいてそれが今の世界とどうかかわっているのかなんて全く意識することがないですが、何事もすべては歴史の中にあるんだなとつくづく思います。

ネイティブアメリカンの人々の性格や習慣の疑問を紐解くと結局すべて歴史の中にヒントがあったりするのですが、そういう目で見ていくとまたインディアンジュエリーも違って見えます。

 

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