寄付や援助があふれるロックダウン禍

Native American

 

こんにちは!今日はサンクスギビングデー、感謝祭の祝日でした。

例年やっているニューヨークでのパレードは無観客での開催。集まりは極力禁止と言われているので、我が家も我が家だけという初めての感謝祭。例年うちで作る時は前日の夜から準備するのですが、今年は少量なので朝八時に作り始めてお昼には食べられるという何とも不思議な感謝祭の日。

あなたが感謝しているものは何ですか?と問われる日。

この状況下の中、子供たちにも感謝することの意味を教える日となりました。サンクスギビングデーが終わると一気にクリスマス一色です。

さて今日は個人的に今思っている変化について書き残しておこうと思います。

お金が簡単にもらえる今

 

今年の感謝祭。パンデミック禍、さらにロックダウンのニューメキシコ州ではフードバンクや地元の有志のマクドナルドなどが無料で食料を配っていました。

このブログでは何回か書いているのですが、今の状況下の中で本当に「もらえるものはもらっとけ」という人が増えていて、その部分に疑問を感じる人がとても増えています。

寄付や配る側はもちろん本当に困っている人たちを助けたいという善意があり、実際に明日ここに住むことができないというアパートの家賃を払えない人や、冷蔵庫の中に何も食べ物がないという貧困下にある人もいます。

その一方で、本当は仕事をしているのに失業保険をもらい続けている人、本当はアーティストではないのに寄付がもらえると聞いて補助をもらっている人、様々なフードバンクを渡り歩いてひたすら寄付をもらう人、などの話を無限に耳にするようになりました。

でも、支援している側は誰に対しても支援しますという対応が多いので(食べ物や物資を配る人は特に)この人が本当に困っているかどうかよりも、「この支援物資をとにかく多くの人に配る」ことに使命があります。

実際に様々な「困難な状況下にある人への援助」という政府関係の書類にはどれだけあなたや家族が大変な状況にあるかというのを説明する必要があり、言ってしまえば自分をみじめに描いた者勝ち。

あらゆる支援を探して片っ端から応募すれば、簡単に現金が支給されリッチになれる今です。

これはアメリカの国自体の方針なので、そのもらったお金ででっかいテレビを買おうが、飲んだくれようが、結局経済が回ることが大事。

アメリカは感情とても敏感な人たちが多いので、かわいそうな人を見て見ぬふりをできない人というのもとても多くいます。

そんな中第二回目のロックダウンが実行されてまず最初にインタビューされていたのが中小企業の人たちで、昨日すでに州議会で中小企業への支援案が通過し、来月には再び応募が再開されます。

個人、従業員数と2019年の売り上げが少ない店舗は今めちゃくちゃ儲かっています。(寄付は今どれだけ困っているかもありますが、2019年の確定申告での売り上げが多かったビジネスは基本ふるい落とされてしまいます。)

失業保険にはアパートや食料品代として1200ドル追加されて、働かなくても働いていた時よりもお金がもらえるという状況。

そこでネイティブアメリカンのことを考える

お金がもらえるとどうなるか
こんにちは。ダンナが知らぬ間にAmazonプライム会員になっていて、ここぞとばかりに映画と音楽を楽しんでいます。ダンナが頼むものは早く届くなぁと思っていたら、いつの間にかプライム会員になっていたなんて、早く教えて笑 社会問...

以前こんな記事を書きましたが、「結局お金は紙切れでしかない」というようなことです。

さらなる政府の支援策で、「え、お金ってこんなに簡単にもらえるものなの?!」って私自身も思ったぐらい。(あくまでもアメリカやネイティブアメリカンの今の現状の話です。)

今までこんなに人々が呪縛されていたお金というものが、あたかも天から降ってきたようにもらえて、そうなると本当にお金のために生きてきた今までの生活を考え直すようになります。

必死で一時間1200円稼いでいたこの仕事はいったい何なんだろうか。

家でゲームをやって失業保険がもらい続けれるならこの生活をできるだけ続けたい。

都会に住んで高い家賃を払う意味って何だろうか。

などなど。

今まで考えたこともなかったような疑問が湧き出てきて、良くも悪くも環境を変える人も多くなりましたよね。

でも、ネイティブアメリカンって今までもずっとこの「政府の支援に頼っている人」と「そうじゃない人」に分かれています。

 

私が今付き合っているネイティブアメリカンのほとんどが、政府の支援に頼らず生きている人。

アメリカ政府からの現金支給、ナバホ政府からの現金支給などもれなく全員に配られるお金はもらっていると思いますが、ほとんどの人が「自分が困っているから援助に応募する」という選択ではなく、「今自分ができることでお金を稼ぐ」という選択をしている人が多いです。

今までもその選択で後者を選んできて、そして自分のアーティストとしての位置を確立してきた人たち。そうして自分で増やしてきた収入だから、政府に頼るという選択をしない人たちが多い。

その状況は今本当に見ていて顕著です。

政府からの支援を受ければ一時的にお金が入るので、作品を作って売る必要がなくなります。

パンデミックになって全然姿を見なくなった人が多くなる中、それでも自分のモチベーションを上げ続けて頑張って作品を作っている人もいる。

本当に大変だったらもちろん政府の援助を受けてもいいと思うのですが、なんというか、彼らにはそもそもその選択肢がない。

あそこに行けばタダで食料や薪がもらえると知っていても、スーパーに食料品を買いに行く。

今日本でその状況だったら、あなたはどうしているでしょうか?

私は市民ではないので一人で生きていたとしてももらいに行くことをためらう気がしますが、もらえるんだったらもらっておこうという気持ちになるのもすごく分かります。

元々、政府からの援助や物をもらうことが日常茶飯事のネイティブアメリカンの人たち。

ダンナ「ナバホの人に、ローストビーフを無料で配っています。と言ってあげたらなんていうと思う?」

私「え?ありがとうじゃないの?」

ダンナ「ローストビーフだけ?パンはどこ?」

これ、普通にあるやり取りをブラックジョークにしたもの(笑)

 

今のこの状況下の中「簡単にお金や物資がもらえることに甘え切っちゃう人」と「自力で頑張る人」の差が本当に目に見えて開いてきていて、さらにお金や物資がもらえること自体の意味がとても薄れてきています。

私は個人的に国際ボランティアをしてきてそこに疑問を感じているというのももちろんあると思うけど、仕事や店としてのイメージを上げるためや、善意を示すための寄付や援助というものが実際はどう相手に受け取られるか、どう後の生活に影響するかも大事。

多くの人がネガティブに考え、多くの人が政府のお金で生きて立ち止まっている間に、三倍ポジティブに考えて、人の三倍勉強したらさらに差がつくことは間違いない。

お金と幸せというのは人生の最大のテーマなのでこのブログでも何回も書いているような気がしますが、ネイティブアメリカンにとって本当にお金は紙切れで、紙切れだからこそいくらもらってもキリがないんだなと思う今です。

 

 

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