インディアンジュエリーのフェスティバルが行われているときに、サンタフェの歴史が気になってしまう私。
インディアンマーケットは過去記事で読んでいただいて、今日はサンタフェの歴史いきます。
1610年、アメリカで三番目に古い町
サンミゲル教会は、アメリカで最も古い教会構造で、その壁の部分は1610年当時のまま残されています。総督の宮殿は1610年から1612年の間に建てられ、国内で最も古い政府の建物です。
町そのものはサングレデクリスト山地のふもとにある古いプエブロ村の跡地から始まりました。
サンタフェは米国で最も標高が高く、海抜約7,000フィートです。
サンタフェは最も古い首都であり、ヨーロッパの入植者によって設立された3番目に古い街となっています。
でも輝かしい観光地となったサンタフェの歴史は、実はとても生々しいものです。
スペイン人の入植がはじまってから70年間、スペインの入植者と宣教師はこの地域の約10万人のプエブロインディアンを征服し、改宗させようとしました。
しかし、1680年プエブロインディアンは反乱を起こし、約400人のスペイン人入植者を殺害し、残りをメキシコに送り返しました。征服したインディアンは、知事の宮殿とサンミゲル礼拝堂を除くサンタフェのほとんどの建物を燃やしました。
プエブロインディアンはサンタフェを占領しましたが、1693年にドンディエゴデバルガスがスペインの支配を回復しました。この時点で、サンタフェは都市として成長し繁栄しましたが、コマンチ族、アパッチ族、ナバホ族による頻繁なネイティブアメリカンの攻撃にあいます。
プエブロインディアンの人々がよく言う言葉。
サンタフェ鉄道によって大発展した町
こちらはプラザ内にあるニューメキシコ博物館。こちらも1600年代に建てられたものを修復しながら残されています。
サンタフェは1821年まで、スペインの統治下にありました。
そこまでも、そこからも数々の戦いが行われて町は数々の支配下に置かれます。
ネイティブアメリカンとスペイン入植者。
スペイン入植者とアメリカ政府。
ニューメキシコが州に認定されたのは1912年。
その間1800年代に、サンタフェはミズーリ州インディペンデンスからのサンタフェ鉄道の主要ターミナルになりました。
サンタフェ鉄道といえば。フレッドハーヴィーですね。

サンタフェはメイントレイルの終点として、旅行中に必要な物資の大きな取引エリアになりました。米国を通過する昔からの旅行ルートとして認められ、メキシコシティなど植民地時代のスペイン統治の首都といくつかのスペインの州都の間の主要なルートでした。市はすぐにサンタフェへの旅行者だけでなく、ニューメキシコ州北部への主要な貿易センターになりました。
スペイン人の入植時代の風景がそのまま残るサンタフェは、ニューメキシコ州の州都となり観光名所となっています。
サンタフェの今
これはサンタフェのマクドナルド。
今サンタフェは州都として、さらに芸術、観光、建設、不動産開発がどんどん進んでいます。
サングレ・デ・クリスト山のふもとにあるこの都市の気候と文化的魅力で、平均以上の収入と教育レベルを備えた新しい住民の流入がどんどん進んでいます。
市内中心部とキャニオンロードの通りには、レストラン、ブティック、ギャラリーが並んでいます。
一般のネイティブアメリカンの人々が気軽に住める街ではなくなってしまったのも事実。
サンタフェに住んだらたくさんのアートギャラリーに取り上げてもらえて、関係が近くなってビジネスがうまくいくのはわかるんだけど、自分の故郷を捨ててセレブ並みの生活費を払ってまで行く価値があるのかどうか。
サンタフェに住むアーティストのことを、リザベーションに住むアーティストは「サンタフェイーグル」って言ったりします。彼らにとっては「故郷を捨てて伝統工芸を作る」っていうところがとても矛盾しているといいます。
日本でいえば「六本木に住んでアートやってるぜ」的なイメージかな。。。
完全に、田舎町が観光地化するメリットとデメリットですね!

アメリカ、ニューメキシコ州在住、居住歴10年。ナバホ族の夫とリザベーションで二人の子育てをしながらインディアンジュエリーにかかわる仕事をしています。インスタ、ツイッター、Facebook、Youtubeがありますがインスタが一番身近な感じかと。
ABOUT MEのページからSNSのフォロー、他ウェブサイト、お問い合わせなどができます。
コメント