第五章 ニューメキシコ州にいる現在

Native American

ニューメキシコ州は完全なる第二波で、再びレストランの店内飲食禁止のお達しが出ました。少しは落ち着いてくれないと、店もまた閉めなきゃいけない状況になっちゃいそう。

とにもかくにも会いたい人に直接会えない状況が、早く改善するといいです。

さて、この変な自伝もこれでお開きとしたいと思います。

一章から四章まではこちら。

第一章 アフリカを目指す
生い立ちの期って昔、書きませんでした? コロナで考える時間がたくさんある今、自分の過去を振り返っている人もとても多いと思います。 私の過去を小説風?エッセイ風?に書いてみようチャレンジ。(誤字脱字は先に誤っておきます) ...
第二章 社会を学ぶ
古着屋のサムタイムズストアの店主、ゆりちゃんがラジオでめちゃくちゃこのブログの宣伝してくれていたのにもかかわらず、いつもと違う私の一生シリーズを書いていてすみません。。。 ネイティブアメリカン関係は過去ブログにいっぱい書いているので、...
第三章 アメリカ駐在員生活
こちらはまだ続くプロテストとコロナの中、ほとんどの店が気をつけながらの再開をしています。急に打って変わって、感染の数字にとらわれずどんどんみんな外に出始めている感じ。 学校や子供のサマースクールは9月まで皆無なので、子供との生活のバラ...
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ネイティブアメリカンと生きる日々

何も知らない若造女子からアラフォーへ

20代であまり知識のない女子たちが、会社から大金を渡されてがっさーと大量に作品を買いまくる。それが仕事で渡米したのだから当の本人たちは必死で買いあさっていた訳ですが、個人経営の店が多いインディアンジュエリー屋さんからはもう恨みつらみがたまっていたと思います。何十年もかけてアメリカに通いコツコツと作ってきた関係を、若造女子に量とお金で押し切られて乗り換えていくアーティストたちを見て、それはそれは至る所で私たちの不平不満を爆発させていたことと思います。今でも話してもらえない同業者もいますし、その気持ちは理解できるので別に何とも思っていません。

でも大きな会社が小さいマーケットに乗り込んでいくことでマーケット自体が拡大したというのは明らかで、それでも食いつぶして新しい場所に進出していくわけではなくまだコツコツとやり続けることができているのはやはりアーティストへの感謝や作品への感謝があるからではないかと思います。現地にいるからといってできないことも、対応できないこともたくさんあり、期間を決めて買い付けに来ている人の方が有利な場合も多々あります。(そして、多分見た目以上に儲かってません笑)商売をやる以上は続けていくことが最大の支援で、続いていくためにはそれぞれがみんな状況に合わせて工夫していく。やっぱり目の前の利益だけを求めている人たちはどんどんといなくなります。アメリカに店を構えることでいろいろな人が得になるように、作家、お客様、ディーラーさんたち、すべての人がもう少し楽にもう少したくさんの作品を楽しめるようにという一心で、最初は見向きもしてくれなかった現地のトレーダーさんたちも、まぁそれなりにがんばっているんじゃないって握手をして助けてくれる人たちも多くなってきました。このブログでも何回も書いている、市場拡大と伝統工芸のバランスをとることの難しさ、需要と供給のバランス、流行と伝統など、売れば売るほどいいという簡単な市場ではないので食いつぶして次っていうことではなくて、もっと長い目で継続していける道を考えていかなければなりません。

日本では名の知れたカリスマ的バイヤーさん、オーナーさんたちのおかげで私はここにいて、そうそうたる業界の先輩方の偉業のおかげで、この市場が成り立っていることも事実。現地にいると、あの店がどうのこうのという次元じゃなくて、それぞれいろいろなお店が個性があってよくて、もうみんなで頑張ってインディアンジュエリーを継続していければそれでよし!って思います。

アルコール依存症

そんなことを考えられるようになったのも、2017年の2月にダンナがお酒をやめたから。ようやく公にすることができる時期になったかなと思うし私自身過去から逃げてはいけない。この先は結構衝撃の事実なので読みたくない人は読まなくても大丈夫。

温厚そう、優しそうと言われるダンナ。以前の記事でネイティブアメリカンの依存症について書きましたが、ダンナもその例に漏れず完全なるアルコール依存症です。今まで私が旦那のジュエリーについて、自分の生き方について、仕事についてこうして書いてみようとかもっと頑張って売ってみようと思うことがなかったのも、すべてはここに原因がありました。

毎日ではないけれど、週に何回か、私が仕事から帰るとすでに出来上がっているダンナ。未だに思い出すだけでも嫌な出来事たちですが、家に帰る前には必ず電話で確認してもう電話の声でわかる。電話の声を聴いただけで体の血の気が引き、家に帰ると同時に常備してあるスーツケースを車に詰め込み、どうにか冷静を装いながらダンナにばれないように子供たちを車に乗せて逃げる。数えきれないこの家出は二日に一回のこともあったし、何か月に一回かのこともありました。渦中のダンナは本当に人が変わり、すべてのことは私の責任になり、私が言い返すと100倍になるので冷静を装い逃げることだけを考え、ありとあらゆる罵倒を浴び、2回ほど警察沙汰になりました。家出は子供たちがまだ幼いころからのルーティーンで、靴を履かずに逃げてくることもあったし、上着を忘れて車に乗り込むこともありました。「死んでやる」「お前みたいに醜いやつは初めてみた」などなど、まぁ英語でも一生忘れることがないだろう言葉たちを体に刻みながら、弁護士に相談したり、その状況をボイスレコーダーで撮ったり、ありとあらゆる負の感情を経験しました。本人は次の日には言ったことは覚えていなくてただ平謝り、私はもう死ぬほど彼のことを憎むのですが、国際結婚という立場や子供たちのことを考えると離婚という決断がどうしてもできなくて、そのうち家に帰るという繰り返し。だから、本当に明日はどうなるか分からないという毎日で、家を住みやすくしようとか、ダンナのジュエリーを売ろうとか、そんな先のことまで考えられる状況ではありませんでした。最終的にお金のことで揉めるのも嫌だからすべて別にしていたし、ダンナの仕事に私が触れなかったのもそれが根本にあります。アメリカと日本はハーグ条約という条約が結ばれていて、たとえ相手の非であっても子供を連れて勝手に日本に帰ることは基本的にはできません。こうやって離婚して「子連れで勝手に日本に戻った元妻と子供を探している」というアメリカ人ダンナのドキュメンタリーなどもあります。

何十回とこれを繰り返して、もうしません、もう飲みませんと言ってもアルコールがドラッグと同じように働くこと、自分はお酒というものを一滴も飲んではいけないアルコール依存症であると本人が本質的に自覚するまでは本当に長い道のりでした。認めたくないのかよく分からないけど周りには一切本人からは言わなかったし、カウンセリングに行っても結局同じことが起こりました。飲まないでと言っても効果がないので、ただ気をつけてねといって出かけ、帰路で旦那が電話に出ないと何十回と電話をかけていました。

最終的にきっぱりとお酒をやめることになった理由は私にもよくわかりません。いつもと同じように罵倒をあび、家出をして離婚を200%心に決めた私の覚悟がダンナにも見て取れたのか。でもそれと同じ状況にある家族がまだまだこの世界にはたくさんいて、それは本人の気持ちだけで変えられることだけど、周りの私たちにはどうしても変えることができませんし、私も今後いつそうなるかも分かりません。

でもダンナがお酒をやめてからの変化は本当に信じられないものでした。ただ罵倒やケンカや家出がなくなり、毎日平和に生活したいという願いはもちろん、彼という人そのものの本質が見えたという感じ。今まで支払い類はすべて私が管理してダンナにお願いしても期限内にやってくれることは皆無だったけど、それは彼という人の本質じゃなかったんだなとか、性格そのものがどんどん変化していくことに驚きました。今までは日本でのショーの予定なんて立てられなかったし、過去には実際に日本に帰国する前日にこの争いが起きて最悪な状態で飛行機に乗ったこともあります。そもそも明日どうなるか分からないんだから、来月、再来月の予定が確定できるわけがない。

ただ毎日生きていればいいし、最低限生きていけるお金はもらえるんだから別にお酒やドラッグにおぼれて死んでも自分の自由じゃないかって思っている人も結構います。その渦中にいて、周りがカウンセリング受けなさいとか、強制的に施設に連れて行って入院させる、そんな人もたくさん見てきました。本当にそういう人たちがいっぱいいるのでダンナだけが特別なわけじゃなく、もうこれは普通のことなんです。依存症になり自殺してしまう人、身体を壊す人、周りが泣こうがわめこうが本人の意思だからどうしようもない。でもアルコール依存症の人が見下されているのも事実で、お酒を飲む人=レベルの低い人間という見方をされることもあります。実際私もダンナのことをダメ人間と思っていたけれど、今になれば、あ、本当に病気だったんだって分かる。

生きるということ

そんな出来事を経て、先のことはどうなるか分からないんだから自分がやりたくて楽しいと思えることをやろうという考えに至ります。ただ、毎日を生きることに感謝。ネイティブアメリカンの根っこにはその考えがあります。物やお金をどんどん増やして生きることが幸せか、今あるもので生きていけることが幸せか、コロナの状況はそんな根っこの考えを今一度考えさせてくれるチャンスのような気すらしています。

依存症は本当に大きな社会問題で、それによりつぶされてしまう作家や若者もたくさんいます。ホームレスや酔っぱらいやドラッグディーラーがうろうろしている町は治安がいいとは言えないけれど、その反面でネイティブアメリカンの文化や生み出すものに心を奪われている人も多いことは事実。

一面だけを見て否定せず、まぁこんな事実もありますよーぐらいな感じの適当な真実や思いをこのブログでは書き続けていこうと思います。

とか言って、子供たちのために都会のロサンゼルスへ引っ越しまーすとか急に言ってコストコとかで働き始めたらごめんなさい(笑)

否定し、妬み、だましながら生きていくか、前を向いてやれるだけのことをやって生きていくか、すべては自分次第でそれはすべて自分に返ってくるというのは経験すれば誰もがすぐに分かります。何かを成し遂げるためには信じられないぐらいの努力が必要で、一人の人間が生きている間にできることには限りがある。その反面、結局死ぬときには何も持っていくことができずみーんな土にかえるという事実をネイティブアメリカンの人々は知っていて、彼ら自身もモノやお金に執着し自己中心的な生活をしてしまう人間の欲望とみんな戦っています。

どういう生き方をすればいいかという正解なんてどこにもなくて、ただ自分が死ぬときにいい人生だったと思える毎日を積み重ねていくしかない!

早くみんながアメリカに来てギャラップトレーディングまたはスティーブのジュエリーを買い物してくれる日が来ることを祈ってます。結局宣伝(笑)

 

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