週末はツーソン、アリゾナ州へ行ってきました。まさかの雨で、一日で仕事を終わらせるという超頭フル回転のスケジュール。しかしこういうときって本当に達成感ありますね。何事もスポ魂をもって取り組めば何とかなる。(笑)
さて、今日はまたたいそうなタイトルですが、ヘヴィーな感じではなく、ライトな感じで書いて行けたらと思います。
(※文献とか研究とかは挟まず夫からの話の経験談より書いていますので、個人的な見解の違いがあります!)
クリエイターという存在
ネイティブアメリカンの人たちには部族にかかわらず、「クリエイター」という存在があります。
クリエイター=創造神、創生者、創造主などと訳すことが多いのですが、キリスト教で言う全てを作った「神」、神道で言えば「イザナギ」と言ったすべてを創造した神様といったところ。
どの宗教にも存在する「創造神」のことを指します。
「創造神」という訳をすると何だかイメージが変わってしまうような気がするのですが、ナバホ族の人たちにとってクリエイターは、要するに、日本でいう「神様仏様」というもっと身近なものです。
東の方角
ナバホ族の人々は、東の方角をとても大事にします。
Ha’a’aah←ナバホ語で東という意味
「太陽が昇る方向であり、すべての始まり、一日の始まり、命の誕生などの意味があります。」伝統的なホーガンという住居の入り口は必ず東に向けて建てられます。
「日が昇るとき」というのはとても大事な時間で、本来はその時間に合わせて、昇る太陽に向かって、感謝や祈りをささげるというのが伝統的なナバホ族の人々の生活。
日本人で言えば、初日の出に向かって新年の祈りをささげると言ったところでしょうか。
私の夫はキリスト教徒なので微妙な見解の違いはありそうですが、でもはやりナバホ族の「クリエイター」という存在に対しての感謝や祈りをささげることがあります。
(新しいことを始めるときや自分が苦境にいるときは特に。)
日の出に向かって、トウモロコシの花粉の入ったメディスンバッグを手に、太陽に向かって祈り、その後四つの方角に向かって祈りを捧げます。
日が変わるということ
一日、一日を生きるというのは今も根付くナバホ族の人たちのスピリットなので、(これはどうやらネイティブアメリカン全体に共通するスピリットらしい)「日が昇ると新しい一日になった」という解釈になります。
実生活でいえば、前日から怒り心頭で「明日口論するぞ」と思って寝かせていたケンカなんかはそこでチャラになり、夫には「え⁉もう日が変わったのにまだ昨日のこと言ってるの!?」なんて言われ、怒りやらあきらめやら、何とも言えない気持ちになることが何回かありました。
もう慣れたので、持ちこしはせず、当日にがっちりとケンカをします(笑)
なので、「昨日めっちゃ揉めたのにまたあきらめずに普通に会いに来ちゃうの⁉」
とか、
「この前すごい雰囲気悪かったけど全く覚えてないみたいに今日は普通。前回のこと覚えてないのかなぁ。。」
とか、よくあります。
これは良くも悪くも、やはり基本に「日が変わったら新しい一日」という概念があるからです。
祈りというのが日常的
キリスト教でも、イスラム教でも、祈りの時間というのは日本人の感覚よりももっともっと日常的で、生活の中に入っている文化ともいえるものですよね。
ナバホ族もキリスト教徒が多いので、食事の前のお祈りはクリスチャン式の時が多いですが、例えばナバホ族の伝統信仰の人でも、こういった、朝日に拝むように日常的にお祈りというものをします。
今朝こんな話をしていたら、
「自分の魂は神様のものであり、体だけが両親にいただいたもの。」
という風に夫が表現していました。
私は「自分が何か新しいことを始めるとき、何か道に迷ったときは必ず祈る。」と夫によく言われています。
頭からケムリをモクモクふかせながら進んでいる一生懸命でいっぱいいっぱいな時ほど、「自分はこんなに頑張っている、自分が開拓してきた道だ。」と思いがちだけど、やっぱりすべては決められていて、それを決めているのはクリエイターであり、神様だから、「祈ろう」という話。
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アメリカ、ニューメキシコ州在住、居住歴10年。ナバホ族の夫とリザベーションで二人の子育てをしながらインディアンジュエリーにかかわる仕事をしています。インスタ、ツイッター、Facebook、Youtubeがありますがインスタが一番身近な感じかと。
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