お金というもの

Native American

先日のリザベーションとは何か⁉の記事で、なんとなく、「へぇ~そうなんだぁ」と思っていただけたら、それを踏まえてネイティブアメリカンにとってのお金というものについて考えてみました。(ちょっと重い記事が続いてすいません。それにしてもパンのレシピが人気でした、やっぱりみんな私が何食べてるか気になるよね。意外と普通だけどね。。)

お金は持っていてはいけない

有名なインディアンの世界を現した本、今日は死ぬのにもってこいの日。」
確かにこれはインディアンの精神世界を究極に表している、と思います。
「今を生きる」「明日のことは考えてもしょうがない」「今満足していれば今日死んでもいい」といった素晴らしいインディアンのスピリット。
しっかりと貯蓄をする、将来に備えるのが当たり前の日本人にとっては理解するのに時間がかかります。将来のための貯蓄をする今、ではなくて、いつ死んでもいいという満足した今
裏返せば、将来のことを考えて貯蓄をする意味なんてどこにもないので、みんな稼いだ分は稼いだだけ使います。カジノは大繁盛だし、年金支給日のウォルマートは絶対に行かない方がいいぐらいに混んでいるといった具合です。
私の夫の母は私が夫と出会う前に他界しているのですが、その母は夫にこんなことを言っていたそうです。
「お金は持っていてはいけない。お金があると、家族や友達が”貸して、ちょうだい”と寄ってくる。お金を持っていることは家族関係を崩壊させるだけで何もいいことがない。」
ごもっとも。であります。
(私の貯金やお金の感覚は良くも悪くもここで崩壊。。。)

お金持ち、は存在しない

お金持ち、いわゆる「金銭などの財産を多く持っている人」はネイティブアメリカンにはほとんど存在しない、と思います。(プロゴルファーとかブランドで大成功してたくさんあるとかいう人は別。)
お金というものの感覚が、日本人の一般的な感覚とはあまりにも違う。
これを理解するまでものすごい時間がかかりましたし、今でも理解できないことはたくさんあります。
国からのサポート、政府からのサポートの話は先日の記事で書いた通り。さらにカジノで儲けている小さな部族は、何もしなくても政府から月1000ドル以上がもらえるという話もあります。
第一にお金を稼いで貯蓄していくことに何の意味もない
さらにその日暮らしのレベルがみなさんの想像よりはるかに度を越しています。
例えば、
「これ買ってくれないと帰れない。ガソリン代がないから。5ドルだけちょうだい。」
「子供の学校のイベントで10ドル必要なんだけど、10ドル貸して。」
500円、1000円単位のお金がない。(これは、稼いでいる金額とは全く関係がありません。月10000ドル稼いでいても、1000ドル稼いでいても、手持ちのお金はない人がほとんど。)
もちろん、そうじゃない人もたくさんいる。でも私の知る限りそういう人は圧倒的な一握り。
じゃあ究極、死んだらお葬式のお金どうするの?
お葬式のお金は、「寄付」によって賄われます。その寄付のミーティング(日本で言えばお通夜みたいなもの)では、棺にいくら、お花にいくら、と必要な経費が黒板に書かれ、現在いくら集まっています、というのも明確に黒板に書かれます。
備えがなくても、死んでも何とかなる。

貨幣の流入が劇的に遅い

1880年代ぐらいからナバホネイションにたくさんできたトレーディングポスト。アメリカでも「スーパーマーケット」なんてなかった時代、日本で言えば明治の半ばごろに匹敵します。
(完全な余談ですが、世界史を勉強するときに西暦を日本の元号にして、日本の出来事と照らし合わせると急に親近感が増して覚えられると思うんです。あ、これがあったのは西郷隆盛の時代なの⁉もっと昔の話かと思ってたら意外と最近なんだぁ、とか。そうするとヨーロッパのカタカナばっかりの自分にははるか遠い世界の世界史の勉強も少し興味がわくような気がするのです。)
トレーディングポストでは、自分が作ったジュエリーや敷物などと日用品が物々交換できました。お金がなくても物々交換ができたし、その後は実質「質屋」として現在も稼働しているトレーディングポストで、現金を手に入れることができる。
ここで、ネイティブアメリカンにとって、「必要な時に、お金が手に入るシステム」が作られました。

日本では、西暦708年に造られた貨幣「和同開珎」  。トレーディングポストができたのは、1880年代。まず、貨幣というものの流入が1000年以上も遅れています。  貨幣がなくても生きていけた時代が長いし、これからもこの感覚はあまり変わらないのではないかと思います。

お金は必要な時に手に入るもの

例えば、
「20ドル貸して!ガソリン代がないから。」とよく言われます。(何度も言うけど、これは、稼いでいる金額とは全く関係がない。
「金曜にお給料がもらえるからそしたら返すね。」
かわいそうだなと思って貸してあげるとこの20ドルは99%帰ってこない。そして、借りた本人はほとんどの場合が覚えていない。(または言い訳をして逃げ切る!)
これが20ドルだったらまだしょうがない、となりますが、「お金貸して」はプライベートもビジネスも同じなので、それが「1000ドル貸して」となります。1000ドル貸して、その後覚えていない、返せない、では済まないですよね。でもそれが本当によく起こります
ネイティブの人たちとビジネスする上で、この基本は本当によく覚えていてほしい。
「お母さんが病気になったから」
「子供がトラブル起こして保釈金がいるから」
ここらへんはまだ、慈悲の心が揺れ動かされる言い訳。
「家賃払わなきゃいけないから」
「子供たちと都会にお出かけするから」
「電気が止められそうだから」
「奥さんの誕生日でディナーに行きたいから」
だからこれ買ってくれませんか。もし買えないんだったら100ドルちょうだいとハッキリ言ってくる人もいる笑
日本人からすると、本気で「NOT MY BUSINESS!」「いやいやマジ私には関係ないし!」だけど、相手は本気です。
究極に言えば、日本の感覚からすると「自分で稼いだお金は自分だけのお金」だけど、ネイティブアメリカンの人たちの感覚からすると、「あなたのお金もみんなのお金」といった感覚。
なので、断ると、キレてくる人もいる。
ほとんどの人が、ここでネイティブアメリカンを嫌いになる。ナバホの人はこれだから・・・ってなる。明らかに「自己中」以外の何物でもないし、私に責任転換をしてくる人は今だに理解できないので、嫌い。断ると明らかにさみしそうに、あなたがお金をくれないから生きていけないみたいな態度をしてくる笑える人も、好きじゃない。
お金を貸して忘れてしまうナバホの人よりも、同じ「20ドル」の重要性が、私の方が断然高く、そのナバホの人は忘れてしまうぐらい低い。
だから、その「お金に対する感覚の違い」を理解していてほしいと思うのです。
・こちらが必要な商品を頼んで、場合によっては先払いをすることもある。
でも時間が経っても全然できあがらず、最終的にはお金のトラブルになってしまう。
・こちらが頼んだものじゃないものを持ってきて、でも今お金が必要だから買ってくれないと困る、と言われる。
ネイティブアメリカンにとって、「お金が必要かどうか」のはいつでも自分の都合であって、相手の都合ではないのです。だから相手の都合にしてもらえるような信頼関係がとても大事。)

まとめ お金のことでネイティブアメリカンを嫌わないで

その生活がいい悪いとかの議論がしたいわけではなく、その事実をとにかく多くの人に知ってもらいたいと思います。
うまく行かなかったら最終的に寄付してもいいなと思っていないのであればお金は渡さない方がいいし、それの見返りなんて絶対に求めちゃだめです。
「歴史的に、そうなってしまっているから。」
お金の問題で、ネイティブの人たちを嫌ってしまう人たちが本当に多い。お金の管理もできないなんて、私のお金を返せ、とネイティブの人たちを下に見る人が多すぎる。
私にはそれが悲しくてしょうがない。
あなたがそのお金を渡す前に、「お金の価値が、私よりも彼や彼女にとって圧倒的に低い。」ということを絶対に忘れないで。あげたことをすぐに忘れられちゃうのが嫌なら、渡さないで。
フェイスブックやインスタで、簡単にネイティブアメリカンの人たちと繋がれる世界。
だから、あくまでもこの現実を踏まえてネイティブアメリカンの人たちと繋がってほしいと思います。
こんな素敵な世界を、お金のことでもめて全否定してしまったらとんでもなくもったいない!!

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村