終わりがあるから魅力的なインディアンジュエリー

Indian Jewelry

こんにちは!

暑さがひと段落し、朝は暖房を使っています。ほとんどの作物は収穫が終わり、本格的な冬支度。先日の州知事の会見で州の公園でのキャンプやカジノオープンなど、さらに制限が解除されていくことになりました。来週からは週に一回のハイブリッドと呼ばれる学校登校も州全体で開始されます。(希望者のみなので、実際にどれくらいの生徒が行くのかは不明。)インフルエンザの予防接種が来月から始まるので、その話題もかなり多い今です。

さて、今日はインディアンジュエリーの話題。

終わりがあるという儚さ

先日自分のジュエリーケースを整理していて、こんなにあってもまだ欲しがる自分への言い訳が欲しいと思いました(笑)

それを考えていて、そうだ、終わりがあるからだ!と思いついたので今日記事にしています。

1人の作家の刻印が入る作品で、同じものが代々受け継がれて作られることというのはインディアンジュエリーにおいてほとんどありません。

例えばもしスティーブアルビソがこの世からいなくなってしまったら、もう彼のジュエリーは作られることはない。作家が生涯において作った数しか作品は生まれることはありません。

息子が同じスタイルを作ったとしても、それは息子の名前で売られ、全くの別物です。

一生の中で自分の手で作る数しか世にわたることはなく、それは大量生産型のジュエリーの数とは明らかに違うし、出会える確率も明らかに少ない。

ゲーリーリーブスのように突然この世を去ってしまったら、彼のジュエリーは突然その日までの限定生産となってしまいます。

作家が自分の手で作るからこそ成り立っているこの儚さ。

いつでも買えるかもしれないけど、いつ買えなくなるかは分からない。

めちゃくちゃ有名になって二世が親の七光りを利用することはあっても、親の名前でジュエリーを作ることはできないし、手作りの作品はたとえ親の名前を刻印したとしてもすぐにバレてしまいます。

 

例えばブランドもののジュエリーであれば「ブランド名」があればだれが作っていてもいいので、その商品は永遠に作り続けることができます。

自分の作品が有名になって後世まで残していきたいと思うのは当たり前なので、後世に残すために誰が作ってもいいようにブランド化されています。

そしてそのブランドの「限定品」に弱い私たち。ブランドが数量をコントロールしているだけであって、それが人気になれば復刻され、定番になります。

一点物のインディアンジュエリーは売る側がデザインをコントロールして「限定品」「別注」とすることはできるけれど、アーティストがそれをすることは皆無。

もっと作ってと言われれば作るけれど、それは彼らが人生のなかで作れる時間枠の中でしか生まれない。マーケティングも数量のコントロールも、需要と供給も大抵の場合がそっちのけで作られるジュエリー。

真似する意味がないもの

同じようなものが出回ることはあるけれど、そこに「作家の刻印」がなければそのジュエリーには何の意味もありません。

作家の作品の完コピの模倣品には何の価値もない。

人気だからといってコピーする人は10年ぐらい前には結構いて、人気のスタイルがあちらこちらに出回ったりすることはありましたし、数は減っても今でもあると思いますが、その模倣品にはもはや価値がないし、逆に本物を着けていないダサさみたいなものが際立ってしまいますよね。

作家の刻印がそのままコピーされたとしても、作家自身が作りを見てこれは本物じゃないとすぐに判断することができるので、ネットで見つけたら即一刀両断。

人気だったとしても真似することには何の価値もなく、意味がありません。

だから売り手側も、作家の名前をまるでブランド名のように前面に押し出します。

父の名前を使ったとしても、息子の名前はブランド名「息子」として前面に押し出します。

 

こうやってどんどんといなくなった作家の作品が手に入らなくなっていき、そして新しい作家のジュエリーを見ることができるようになります。

作家の手で生み出されるジュエリーの生産量には限りがあって、終わりがあるからその作品には二度と出会えない可能性もある。

ターコイズの表情やデザインの一点物の場合はさらに。

 

色々なものがブランディング化していって誰がどう作っているかを考えることなく、このブランドのものを着けていれば間違いないだろうという判断で有名なものを身に着けてしまいがちですが、一旦調べてみると選択肢が変わってもっともっと深いところで自分が買いたいものを選ぶことができますよね。

バイヤーとしても作品の良しあしはもちろんのこと、人柄、その人の置かれている状況、家族、そういうものをひっくるめて作品を買っています。先日も急に入院することになったからと言って、作家の奥さんが慌てて持ってきたジュエリーをいつもより多く買いました。その人のことを信頼していて、頑張ってという気持ちもこめて。

そう、人間だもの(笑)

でもこれって作家のイメージにも関わるので、お客様には言えない情報ですよね。ただのゴシップみたいな感じでは伝えたくないので、店頭にならんだ作品を見て、あーこれはあの時に買ったものだなぁ。。。と自分で浸るのです。

昔の方が作りがきれいだった、昔のデザインの方がよかった、他の人はもっと安いとかそんなものを比較している時間はなく、今その作家が作るものをその作家の背景も含めて判断しています。

 

 

どのジュエリーにも終わりがある。○○が作れなくなったって?じゃあ買っておこうとなる前に。○○の作品が自分の元で楽しんでいる時間が長ければ長いほどいいし、持っていてよかったと絶対に思うでしょう。

このジュエリーを買っておけばよかったと思う日がきっとくる。

そう言い訳をつけて、明日も私は新しいジュエリーに投資をします(笑)

 

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