8月4日はサントドミンゴの村へ行こう

Native American

 

時差ボケの中、サントドミンゴ族の人から日曜日は絶対に来てね!と電話があり行ってきました。

84日にサントドミンゴ族、へメス族の村で行われるFeast(フィースト)と呼ばれるイベント。

ダンスが行われ、たくさんの露店もでて、なんというか、日本でいえば大きな夏祭りという感じ。

このイベントは外部にも公開されているので誰でも行くことができますので、もし時期が合うことがあればぜひ行ってみてくださいね。

8月4日は聖ドミニコの日

こちらはサントドミンゴ族のカルビンロバト。

サントドミンゴ族は、「聖ドミニコ」という意味。

彼らは「サントドミンゴ族」と呼ばれ、道路標識にも「Santo Domingo」としっかり描かれているのだけれど、2009年に「ケワ族」と呼ぶように徹底され、自分たちのことは「ケワ」と呼ぶのが一般的です。

サントドミンゴという名前は、入植してきたスペイン人によって名付けられた名前。彼らは、自分たちはケワであり、ケワ語を話すという言い方をします。

でもカトリック文化もとても根付いていて、聖ドミニコへの信仰心はとても強い。

 

8月4日は、聖ドミニコを称える日として、フィースト(おふるまいの日)が開かれ、このイベントには2000人以上の人々が参加すると言われています。

 

聖ドミニコという人とは。(Wilkipediaより)---------------

1170年に地方の貧しい農村でフェリックス・デ・グスマンとフアナ・デ・アサ(フアナ・ガルセス)の子として生まれ、ドミンゴ・デ・シロスに因みドミンゴと名付けられた。ザクセンのヨルダンが著した伝記によれば、母福者ヨハンナはドミニコが胎内にいるときに犬の姿で松明(たいまつ)を銜(くわ)えて跳び出し、「全世界に火を放つ」夢を見たという。この夢は中世にはドミニコ会をDominicans→Domini canes(主の犬)とする洒落のように考えられた。

6歳から母方の叔父が首席司祭を務める教会で勉強した。14歳から28歳までパレンシアに住み、のちにパレンシア大学へと発展するパレンシアの学校で、6年間人文科学と哲学を、4年間神学を学んだ。しかし飢え渇く貧しい人々がいるなか、勉強ばかりしていられないと思い立ち、ドミニコは自分の持ち物をすべて施した。そのなかには聖書もあった。 意欲に燃えてアナトリアへの伝道を教皇に申し出て、司教とともにカタリ派のはびこるラングドック地方に送られた。そこでカトリックの伝道は異端と同様の熱情と厳格主義が必要と悟り、清貧の生活に入る。

この頃、異端の信者たちをどうにか回心させたいと祈っていたところ、聖母マリアが現れてドミニコにロザリオを渡したという逸話が存在する。そのためドミニコ会がロザリオの普及に貢献したとも言われている。

ドミニコは南フランス、スペインを旅して説教してまわり、回心する者はたちまち増えた。同時にドミニコに共感する者たちも集まるようになり、1216年にドミニコ会(説教者兄弟会)を結成した

1216年に教皇ホノリウス3世に認可される。(認可された年が正式な結成日となっている)

ある日、ドミニコは夢で天国を訪問した。しかしドミニコ会の者が誰もいなかった。嘆き悲しんでいると、聖母マリアが現れドミニコ会の会員たちが自分のマントの中(聖母の保護を表す)にいることを告げたという。

三度司教になるよう勧められるがすべて拒み、司祭のまま1221年に死去。ドミニコの生涯は真理を求める一生であり、その説教は真理に基づいた説教だったと伝えられている。また、その生活は大変貧しかったという。死後の1234年、聖人に列せられた。

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儀式のルールをおさらい

 

ネイティブアメリカンのダンスや儀式のルール5つ
先週末ホピ族のダンスに招待していただき、久々にダンスを見てきました。 そこで改めて、ネイティブアメリカンのダンスや儀式の共通ルールを書いておきます。 これは、インディアンマーケットで観光客向けに行われているイーグルダンス...

↑儀式に行く前に読んでほしい記事はこちら。

※携帯を持っていてメールを読んだりしているだけでも、見つかると没収される場合があります。「記録を取る」ということにとても敏感だということを覚えておけば大丈夫です。

 

村に入ったらまず、写真禁止の看板があります。ここからは写真を撮ることは禁止されています。

 

たくさんの見物客も来るので、道路は大渋滞。お昼近くが一番混雑しますが、ダンスは夕方5時頃まで行われています。

露店がたくさん出ている道を歩いてプラザへ。

プラザの中ではコーンダンスというダンスが行われています。

 

トウモロコシと太陽が書かれた旗を振り、100人近い男性の歌い手がドラムに合わせて歌を歌い、それに合わせて伝統的な衣装を身にまとったダンサーたちが踊る。
髪にはイーグルフェザー、手織りのラグドレス、頭には雨雲のモチーフの飾り、男女必ず大きなジュエリーを身にまとい、鹿革やキツネの毛皮、神聖な杉の葉っぱを持ち、足元はモカシンで炎天下の中延々とダンスをする。
千人近いそのダンサーたちのダンス、そしてそれを見守る人々のまなざしを見るだけでも、とても心が洗われ、祝福を受けた気分になります。

 

まとめ

日本でいえば例えば祇園祭みたいな、大きなお祭りのような感じ。

それと同じに、「厳格さ」というものもあるので、ただお祭りというよりも、観光客が見て感激するようなとても大きな神格化しているお祭りをイメージするといいかと思います。

 

ちなみに毎年変わったりすることもあるフィーストの日。

インディアンプエブロカルチャーセンターのサイトに、日にちが書かれています。

 

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