インディアン寄宿学校

Native American

先日コロラドに行ったときに、昔ボーディングスクールだったという建物に立ち寄りました。

ボーディングスクールというのは、全寮制の学校という意味ですが、ネイティブアメリカンの人々の会話で出てくるのは「インディアン寄宿学校」と呼ばれるものです。

同化教育のための施設

これはフォートルイスという施設。

元々陸軍基地だった跡地をボーディングスクールにしたというなかなか珍しい場所です。

1891年から1909年までボーディングスクールとして使われていて、1901年には350人近い生徒がいたそうです。

インディアン寄宿学校(Indian boarding school)とは、19世紀後半から20世紀にかけて主としてアメリカ合衆国やカナダで作られたインディアンの若年者を同化教育(Americanization)するための私立施設。

 

まずは、ボーディングスクールについて、インディアン寄宿学校のウィキペディアの記載をそのまま載せます。

 

白人キリスト教徒によって経営され、「Reservation(保留地)」のインディアンの少年少女達を親元から強制的に取り上げ、先祖伝来の宗教、言語を禁止して、「インディアンを殺し、人間を救う」を合言葉に、キリスト教や欧米文化の学習、英語教育などを行っていた。

 

早速かなりダークです。。。。

 

歴史的に有名なネイティブアメリカン虐待や戦いの事件はたくさんありますが、ボーディングスクールの存在も、ネイティブアメリカンの人々のアイデンティティにかなり深くかかわっています。

 

その目的は民族浄化。キリスト教化。

1884年にペンシルベニア州で第一号の寄宿学校ができてから、政府は多くのネイティブアメリカンに子供を寄宿学校に送ることを強制しました。彼らには他に利用できる学校がなかったため、そこに子供を送ることを選んだケースが多いようです。

 

※ちなみにこれはアメリカ、カナダという壮大な土地の話で、ナバホ族だけの話ではありません。

 

(その生活を一部ウィキペディアより抜粋。)

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親元から引き離されたインディアンの5歳から10歳までの児童たちは、「黄色いバス」に乗せられ、わざと彼らの保留地から数百キロ離れて選んだ地に入学させられた。入学するとまず身体を洗われて部族の衣服を脱がされ、制服に着替えさせられ、髪を短く切られた。インディアンにとって髪を切るのは、身内が亡くなった時である。

 

部族の名を名乗ることは禁じられ、「ハンフリー」や「マーガレット」といった白人の名前のいくつかの候補の中から適当なものをつけられた。日常生活は朝6時から午後10時までで、軍服での行進が日課にあり、軍事教練を基本にした規律で縛られた。教員は白人だった。学習内容は、読み書き算数のほか、男子は大工仕事や農業、女子は白人料理と裁縫といった手内職である。このほとんどは保留地では何の役にも立たなかった。課目は過密であり、生徒に考える余裕を持たせないように図られていた。

インディアン生徒の親たちは施設の立ち入りを禁じられ、子供に面会するためには学校の外で野営しなければならなかった。

聖書の暗記とキリスト教の祈祷が強制され、部族の信仰は弾圧され禁止された。英語以外の言葉で話すことは禁じられ、話せば「汚い」言葉を話した罰として教師に石鹸を食べさせられたり、石鹸で口をゆすがされたり、ビンタを食うなどした。もちろん、彼らの幼い心は深い心的外傷を負った。白人の食べ物しか食べさせられず、インディアンの伝統食は許されなかった。児童生徒たちに許された娯楽はフットボールや野球といった白人の遊びだけで、伝統的な遊びは許されなかった。

学校によって異なったが、学年は最大で12学年まであり、学期末の夏休みにのみ故郷の保留地への帰省が許されたが、家族の事情で帰省できない児童も多かった。

 

インディアン学生は、お互いをスパイする義務が課せられており、つねに教師による監視下にあり、プライバシーは一切無かった。これはほとんどのインディアン部族がプライバシーを非常に尊重する文化を持っているのと対照的である。

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どうしてナバホ族の中にキリスト教を信じている人が多いのか。

どうしてアメリカ軍へ行くネイティブアメリカンの人々が多かったのか。(ナバホ族の暗号部隊に入ったほとんどの人々がボーディングスクールに通っていたそうです。)

どうして部族の言葉を話せない人々がいるのか。

どうして文化を隠そうとするのか。

 

このボーディングスクールというのは本当にもっと深くてもっとダークな事件がたくさんありますが、ネイティブアメリカンに関する色々な疑問と繋がってくることがこの記事を読んだだけで分かります。

 

寄宿学校の終焉

1934年にボーディングスクールは実質廃止となります。

アメリカ政府はインディアンの自治を促す方針を挙げて同化政策は公式目標から外されたとされています。1934年のこのIndian Reorganization Actと呼ばれるこの政策が可決されて、廃止になるはずが、1940年代から50年代にかけ、再び同化政策は標準目標化されました。

第二次世界大戦の間、保留地のための基金が削られた一方、校舎は老朽化し、寄宿学校は閉鎖され、学生は保留地から離れた全寮制インディアン学校に通うよう強制された。これはその後50年に渡って「反再編成方針」として続けられました。

 

お母さんがボーディングスクールに行っていた、とか幼いころにボーディングスクールに通わされたという会話が普通に出てきます。

 

夫と、夫の兄弟も、このボーディングスクールに行っていましたし、まだボーディングスクールというものは存在します。

現在あるボーディングスクールは、「全寮制」という意味で使われています。

夫の通っていた時代は特に強制政策的な教育はなかったそうですが、それより10年ほど前のお兄さんたちの通っていた時代は丸坊主で頭の上の部分は少し長くカットして、「先生が髪を掴める用のカット」をしていたそうです。

 

2000年にようやく、インディアン管理局の長官が過去百数十年にわたる部族強制移住と同化政策の犯罪性を認め、全米のインディアン部族に対し、涙に濡れながら歴史的な謝罪を行いました。

私達は二度と貴方がたの宗教、言語、儀式、また部族のやり方を攻撃することはありません。私達は二度と、貴方がたの子供を里子に出させ、自分たちを恥ずべきものと教えるつもりはありません。

 

それはまだ19年前のこと。

 

ネイティブアメリカンの人々は自分たちの文化が間違っているとずっと教わってきたという恐ろしい事実がそこにあります。

 

 

 

 

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