YouTube用の取材への旅の途中に体調不良になり、さらにガス欠を人生初体験して気力だけでなんとか乗り越えました。
そしてこれからラスベガスでNFRのショーがあります。
喜んでくれて、感謝してくれて、励ましてくれる人たちが周りにいることで体が動くんだなぁと自分自身の新たなステージを経験しました(笑)
その中で本当に毎回色々な気づきがあったので、それをシェアしたいと思います。
ちょっと哲学的です。
ネイティブアメリカンの思考
たくさんの人と話す中で共通しているなと思ったのは、「すべては与えられるもの」という考え方。
この考えが根底にあるからかもしれません。
キリスト教でも同じ考えがありますが、神様に与えられた体であり、世界であるというのが基本。
例えば、ジュエリーで成功しているアーティストの場合
日本人の一般的考え→自分で勉強して学んで勝ち取ってきた地位や名声
ネイティブアメリカンの考え→神様に与えてもらった才能
という感じ。
なので、この才能やチャンスは誰かに受け継がなければいかない。という考えの人が多いです。
一方でネイティブアメリカンの黒歴史があるので、「政府から与えてもらえる」という環境に慣れてしまって自己中心的な人もたくさんいます。
いつもこのブログで書くお金の話は典型的な例ですが、目の前のお金という話ではなくて、この世、人生というもっともっと長いスパンで話をすると、そのネイティブアメリカンの考えがもっともっと見えてきました。
この才能やチャンスは誰かに受け継がなければいかない。
まだ動画は数人しか公開していませんが、Youtubeのインタビューでもすでにみんなが口をそろえて言っています。
でもそこでは、尊敬と信頼というものが大事。
もともと伝統工芸として、家族で受け継がれていく仕事のインディアンジュエリーですから、できれば家族の一員にきっちりと継いでほしい。
だから見ず知らずの人が同じようなものを勝手に作ったりすることに憤慨します。
現在ジュエリーを作っているどの民族も、彼らのジュエリーと文化というものは直結しています。
儀式ではジュエリーは欠かせないものです。
文化と直結し、歴史と直結している、それがインディアンジュエリーです。
ただのジュエリーではないということ
「何も持たずこの世に生を受け、何も持たずにこの世を去る」
「継承」
「クリエイターに祈りをささげて、今のデザインがある」
背景があることで、インディアンジュエリーとして成立します。
今でも儀式に使われているセレモニーシェル。
銀貨を溶かして作った一番最初の手法を作って作っているバングル。
亡き父から譲り受けたスタンプで作り続けるジュエリー。
母なる大地から得られるターコイズを使った作品。
脈々と続くその歴史の中の一部分が今のインディアンジュエリーの世界である。
毎日作品を見て、売れるか売れないか、どうしたらもっと売れるようになるか・・・とか考えているとそのことを忘れてしまいがちなので改めてここに書いておくことにも意味があるかと。。。
まとめ
「動画を公開すること」は「技術を公開すること」になるので、そこに信頼があるからこそ作家にOKをもらえて、それを使命とできることを誇りに思うとともにとんでもない大役を担っていることにも気づいてしまった最近(笑)
いくらこの技術を見てこれと同じ作品を作ったところで、それはただのシルバージュエリーでしかない。
彼らの背景があるから、人はそれに魅了されています。
「その背景とともに売り出す」
金額に関わらず、私が接客していて一番幸せな時は「興味を持ってもらえた」という瞬間です。
同じ10万円の商品でも「背景に興味を持って買ってもらえること」と、何も説明できずに「ただお金を出してくれたこと」では自分にとっての思い出も違います。
これがどこから来たか、誰が作ったか、どんなことを考えている人が作ったのか。
そんなマニアックなロマンを掻き立てるためのYouTubeを製作中。今のところただ働き。だから早くみんな拡散して(笑)
いつかそこが分かってくれる人とみんなで飲み明かしたい!
アメリカ、ニューメキシコ州在住、居住歴10年。ナバホ族の夫とリザベーションで二人の子育てをしながらインディアンジュエリーにかかわる仕事をしています。インスタ、ツイッター、Facebook、Youtubeがありますがインスタが一番身近な感じかと。
ABOUT MEのページからSNSのフォロー、他ウェブサイト、お問い合わせなどができます。
コメント