ネイティブアメリカンの考える生活

Native American

アメリカではトムハンクスが感染したことで、アメリカ国民全体、さらにまだ通常営業だったハリウッド界、テレビ界が一気に自分事ととらえ、その日からスーパーでの買い溜めが悪化したと言います。

(ハンクス夫妻はしでに体調回復してアメリカに帰国しています)

それが3月16日。

それから二週間経ち、外出の際の他人との距離をとるという条例は4月30日まで延長されました。

そしてここで志村けんさんがなくなるというニュース。

地方に住む人も都会に住む人も完全に他人事ではなくなりました。

「外出を最小限に抑えることが誰かの命を救うことにつながる」とアメリカのメディアでも言っていますが、経済活動ができない今だからこそ、本当に大切なものは何かを考える人が増えていますね。

生きるって何か

 

このブログを読んでいる方は少し理解してくれているかもしれませんが、テクノロジーが発達し、経済が潤っている=幸せと考えられがちな現代社会に生きているとは思えないような生活をしている人も多いネイティブアメリカンの人たち。

夫の叔母は昔、電気、水道、ガスのライフラインもない、奥地に一人で住んでいたそうです。

もちろん、その時はもうナバホ政府に要請すればライフラインは整えてくれる時代でした。

家族は、なぜあんなところに住んでいるのか、不便じゃないのか、と理解できなかったそうですが、叔母に聞くと、「必要なものはすべてある」と言ったそうです。

水を汲みに行き、トウモロコシを育て、羊を飼い、馬を飼い、火を起こして料理をし、日が出たら起きる。お金が必要だったら、羊を売りに行く。

それ以上に何が必要なのか。

 

日本の田舎もそうですよね。

私の父は高知県の村の出身で、「子供の頃は芋しかなかった。いつもおなかをすかせていた」という話をして私たちはそれを笑っていました。

「お金を稼ぐ」「都会に住む」「物質的に豊かになる」

これがすべてになって、そうじゃない人は「幸せじゃない」とか、「成功していない」とジャッジされてしまう。

実際に仕事をして経済活動に参加していなければ「ダメ人間」みたいな扱い。

 

私は実際にそういうネイティブアメリカンの人たちを見てきて

彼らもその「現代社会における成功者」には強烈な憧れがあり、だから「嫉妬」があります。

 

だから有名になってお金をいっぱい稼いでいる人を羨み、「自分はそうじゃない」と卑下したり、「自分もそうなりたい」と求めたり、「自分の方がすごいのに」と嫌味を言ったりする。

 

その葛藤を見ているから、私も「この人もっと有名になってほしいな」とか「こうしたらもっと売れるのにもったいないな」とか色々考えるわけです。

 

特に、みんなが貧乏から始まっているネイティブアメリカンの人たちはその変化にとても敏感で、すぐにジャッジする。

「あんないい馬を持っていて、さぞ稼いでいるんだろう」

「毎日外食をしていて、さぞ仕事がうまく行っているんだろう」

「あんなに大きなお金を払えて、よっぽどお金持ちなんだろう」

どんどん差が広がっていくような他人と自分を比べては、それを理由に自分はまだ足りないともっともっと求めている。

 

コロナで考え直すこと

どこに住んでいる人でも同じだと思うのだけど、「お金は稼がなくていい、貧乏でいい」なんていう人なんて実際どこにもいなくて、みんなお金が欲しいのが当たり前の世界。

このコロナ騒動で一番ダメージを受けているのは、

「お金を稼ぐ」「都会に住む」「物質的に豊かになる」を求めている人たちで、

「お金をいっぱい稼がなくても生きていけている田舎に住んでいる人たち」が生活をあまり変えなくても生きていけている。

 

なんか、すごくない?

 

引きこもっていた人たちは何のダメージもなくて、ガシガシ稼いでがつがつ動いている人たちが生活一変させられてしまう。

都会に住んで夢を追いかけていた人は、田舎の実家に帰らざるを得ず、ハイウェイにはたくさんの荷物を抱えた都会のナンバーの車が走っているとニュースでもやっている。

 

ニューヨーク、カリフォルニア、特にハリウッドやテレビ界、ブロードウェイなどが一番最初に影響を受けて、じゃあ残っているテクノロジーの会社は安泰かというと、

今日からアマゾンや日用品宅配のインスタカートでは、従業員のデモが始まるという。

「このお給料では今の仕事は割に合いません!」ってこと。

 

コロナ騒動で必要不可欠なビジネスが閉鎖され、職を失う人が急増し、経済成長が止まり、経済活動が止まり、民主主義国家の根本みたいなのを私みたいな人でも考え直す機会になっている。

なんかすごいね。

 

まとめ

「貧乏で田舎に住んでその日暮らしをしている人がすごいのか」っていう議論ではなくて、今この状況で「自分が一番幸せと感じられることは何か」っていうのを考える機会がみんなに与えられているということ。

ずっと仕方がなく仕事をしていた人とか、なんだかなぁっていう疑問や不安というのに全員が向き合わなければいけない。

全世界のみんな。

 

だからキリスト教の人たちは、神様のお告げだというのだと思うし、たしかにそういう気もして来る。

 

哲学に触れるいいチャンス。

テクノロジーについて学ぶいいチャンス。

情報を取捨選択できるスキルをつけるいいチャンス。

本当に大切な人と時間を共有するいいチャンス。

今後の人生を幸せに生きるために今一度立ち止まる機会を強制的に与えられている

 

そんな風に思い、今日も朝七時からブログを書いています(笑)

我が家の経済活動も今一度見直さなければ。

何に、そして誰にお金を払いたいかを考えてお金を使わないとね!

 

 

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