ナバホ族のお葬式

Native American

冠婚葬祭のしきたりというのは、国、地域や家庭によって違う、一番「分かりにくい」文化です。

話されることがあまりない、忌の文化。でもそのしきたりで文化的背景がわかり、いざという時に備えることができます。
少し具体的な描写があるので、ご了承ください。

お葬式はどういう方式で行われていたか

 
ナバホ族にとっても愛する人を失う「死」というものはとてつもなく悲しく、できれば起こってほしくない出来事です。その「死」のスピリットを今生きている人に残さないというのが、一貫している考え方です。

なので基本は、「亡くなった人の所有物をその時にすべて処分」します。

残しておいてはいけないもの。

普段着ていた衣服やジュエリー。(身に着けてお見送りするか、焼却処分にします。)

写真

 

伝統的な考え方の人たちは、これらをすべて燃やしてしまいます。

以前近所のおじいさんがお亡くなりになった時、一人暮らしだったおじいさんの家は亡くなった次の日にガラスを全部割り、火をつけて家を燃やしてしまいました。

 

1980年代以前の伝統的なお葬式。

亡くなった人が所有していた馬にご遺体をのせ、埋葬する場所まで行って家族が穴を掘り埋葬し、その後、所有していた馬も撃って殺してしまって埋葬したそうです。

これは私の夫が子供のころに実際見た、とても伝統的な信仰のある家族のお葬式。

 

「死」に関わるものはすべてそこに置いて、彼らの「クリエイター」に魂を戻し、自分たちの今の生活についてこないようにする、そういう意味があるそうです。

 

なので、棺の中では必ず正装をさせてあげます。

カウボーイだったら、カウボーイハットに新品のシャツとラングラーのジーンズ。この日のために新しいブーツを買って履かせてあげる家族も多い。

もしジュエリーがない場合は、家族がこの日のために、ジュエリーを買います。

この日着飾って旅立てるように、衣装やジュエリーに1000ドルから2000ドル使う家庭もあります。

まさに下記事で書いた、「クリエイターに見つけてもらう」「クリエイターに魂が返る日を祝福する」という意味です。

ナバホ族の人々がジュエリーをつけ、儀式をする理由
昨日は休みで、久々に母のもとへおしゃべり。おばちゃんになってきたのか3週間も会わないとしゃべることがいっぱいで、朝ちょっと寄るつもりが一時までのんびりとべちゃくちゃしゃべり、お昼も食べて帰ってきました。 昨日記事を書いていた途中だった...

 

所有品や写真を持っていてはいけないというしきたりはすでに無くなってきていて、日本でいう終活のように、自分の所有物を少しずつ家族に分けていく人もいます。

 

でも、「死」というものから距離を置く。というのは今でも共通している概念です。

 

具体的な段取りは、お葬式の前にまず「ミーティング」というものを開き、そこでみなさんに寄付を募ります。

棺桶にいくら、衣装代にいくら、と書き出して「総額5700ドルかかります」とみなさんに公表し、少しずつ寄付を募ります。(それが、日本でいうお通夜にあたるのかなと思います。)

 

そして別の日にお葬式を行い、その後埋葬する場所までみなさんで行き、埋葬して終わりです。

近い親族であればすべてが終わるまで参加しますが、知り合いの人だと通常ミーティングに参加しお金を寄付してお葬式には参加しないこともあります。

お墓には行かない

お墓には墓石や名前のプレートなどを立て、埋葬した場所に目印を置きます。

都市ではお墓というまとまったものがありますが、リザベーションの中では、○○家のお墓というものが何となくまとまってあのあたりにある、そんな感じです。

 

埋葬する場所に自分たちでシャベルで穴を掘る場合もありますし、ブルドーザーを手配することもあります。

棺、またはブランケットにくるまれたご遺体を埋葬し、その上から自分たちで土をかけます。

 

少しギョッとする人もいるかと思いますが、人の本来の姿ってこれなのかなと私は思います。

 

その土にお花とかを挿して、お祈りして、そこで埋葬は終わり、自治会のようなコミュニティセンターに集まり、みんなで持ち寄ったご飯を食べながら思い出を話します。

 

お墓参りというものはありません。

 

特に子供はお墓には連れて行ってはいけないと言われます。クリエイターの元に戻った魂はお墓にはなく、そこにはただ「死」しかないので、お墓参りに行く必要はないというのが伝統的な考え方。

 

だから日本人が、「○○さんのお墓参りに行きたいんですが。」っていうと時々驚かれます。

 

 

色々なしきたりがある

同じナバホ族の中でも、信仰心の違いや地域の違いがあるのでみんなが同じ方法というわけではありません。「クリエイターに魂が返る」といっても、キリスト教の天国へ行くための喜びというのは全く違って、やはり昔から「死」というものを恐れていたしきたりが残っているのだと思います。

故人を偲ぶ、それがミーティングであり、食事会。

そこでそれぞれの思い出をマイクを通して話し共有します。

 

かなりリアルな生活の話ですが、これはとても大切な話だと思うので書いてみました。

もしネイティブアメリカンの知り合いがなくなったら、こういうことを踏まえ、気持ちとしてお金はぜひ寄付してあげてください。お墓参りはいくことができなくても、故人の思い出を家族に話して共有することがみなさん一番喜ぶことです。

 

 

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