アメリカ南西部の有名な建築家1/2

Native American

ネイティブといえばのアドビ建築

ネイティブアメリカンっぽいフォトジェニックな場所といえば、このタオスプエブロ

この建築は、「アドビ」と呼ばれます。

アドベAdobe)またはアドビ(英語発音)とは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建材。これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われ、ヨーロッパのコブ(Cob)や日干しレンガによく似ている。アドベの構築物は非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。アドベ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。
元々ネイティブアメリカンが住居として使っていたアドビ建築は、アメリカ南西部の都市の建物にも使われています。

以前のブログでもご紹介した、ウィンズローのホテル。La Posada。

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このアドビ建築を一躍有名にしたのは、メアリーコルターという女性の建築家です。

メアリーコルターという人

Mary Elizabeth Jane Colter(1869年 – 1958年)はアメリカの建築家でインテリアデザイナー。

アメリカ南西部のイメージ、文化、そして風景とマッチした独特の建築様式で知られています。

Fred Harvey Companyの主な建築家として、1902年から1948年の退職まで、Santa Fe Railwayの主要ルートに沿ってホテル、ショップ、休憩所を設計しました。

(そう、また出てきました。フレッドハーヴィー。)

彼女はフレッドハーヴィーと深く深くかかわる建築家でもあります。

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この記事のLa Fondaは、メアリーコルターの「影響を受けて」建てられたもの。

彼女の軌跡

1869年4月4日、ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれた彼女は、アイルランド人移民の商人の娘で、11歳のころペンシルベニア州からテキサス州とコロラド州まで家族と一緒に移動した経験をしている。

特に1880年代、セントポールでの経験が強い影響を受ける。セントポールから西へ約100マイルのローワースー族インディアン居留地に住むダコタの人々の人口は1862年のダコタ戦争の後、多くが撤退を余儀なくされた。新しく形成された19世紀後半のセントポールの町とダコタインディアンの人々との町との二つの側面があったことが彼女にとても影響を与えた。

叔父が1870年代にモンタナ州フォート・ケホフで収容された「スー族の囚人から集められた鮮やかな色のスケッチ」を持ち帰ったとき、彼女のネイティブアメリカン文化に対するコルターの好奇心が現れ、 それが彼女の生涯の情熱となる。(後々これらのスー族の絵が彼女にとても大きな影響を与えたことが語られるが、1956年、彼女はそのスケッチをリトルビッグホーン戦場国定記念物に寄贈している。)

メアリーは高校でアートを選択し新しい芸術の要素を学んだが、 そこでは十分でなかったため総合的な美術教育で設立されたばかりのカリフォルニアデザイン大学に移る。1891年に美術学校を卒業し家族と一緒にセントポールに戻り、ウィスコンシン州メノモニーの近くのスタウト手動訓練学校で教職に就く。

1895年、メアリーはメカニックアーツ高等学校でドローイングインストラクターとなる。そこの学生は1893年のコロンビア万国博覧会、後に1904年のセントルイス世界博覧会でデザイン賞を受賞する。

メアリーは尊敬される教授およびカウンセラーであることに加え、ミネソタ大学エクステンションスクールの講師、考古学および歴史の学生であるセントポールデイリーグローブの書評家および編集者として、セントポールの文化界で非常に活動的だった。

その中でメアリーがしばしば「アメリカ先住民の芸術品や工芸品への言及」を作品に取り入れていたことを知った人が、ハーベイカンパニーの最新プロジェクトであるアルバカーキのホテル「アルバラド、インディアンビル」のインテリアデザインを制作するためにメアリーを雇うことを決めた。

1902年に彼女の職業キャリアを築いたフレッドハーヴィー社に勤め始めたのです。

メアリーの手掛けた作品はこちらの記事で。

 

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